東日本大震災から13年が経ちました。私自身、大津波で生まれ育った故郷が一瞬にして町をのみ込んで親友や身近な方々を失いました。
あの時、当たり前に訪れる日々が当たり前に来ない事を知って人付き合いや1日1日を大切に過ごす様になりました。震災の約2ヶ月前の成人式に「また今度遊ぼうな」これが最後に交わした親友との会話です。
いつでも会う気になれば会えると思っていましたし震災の禍々しい恐怖を知って生かされた者として何か次の世代へ繋げられる活動をしていきたいと思います。【2011.3.11東日本大震災】復興の歩みと新たな世代へについて、まとめましたのでご参照ください。
日本史上最大の自然災害

2011.3.11世界中を震撼させた歴史上最大の震度7でマグニチュード9という凄まじい大地震が宮城県を震源地として発生しました。
宮城沖地震が近いうちに起こると2008年頃から度々、大きな地震が起こり騒がれていました。当時、私は高校3年生で野球部に所属していてグラウンドに地割れができたことを深く記憶に残っています。
まさか数年後に信じられない事態になるとは全く考えもしませんでした・・・。
東日本大震災発生

2011年3月11日(平成23年)14時46分に三陸沖で宮城県牡鹿半島の東南東130㎞付近で深さ約24kmを震源とした地震が最初に発生しました。
北は北海道から南は沖縄まで揺れました。特に東日本の太平洋側が宮城県栗原市で最大震度7を観測し、宮城県、福島県、茨城県、栃木県が震度6強を観測するという事態でした。
災害から約1ヶ月後の4月7日にも宮城県沖が震源地で震度6強の余震があり5月31日までに発生した余震は、最大震度6強が2回、最大震度6弱が2回、最大震度5強が6回、最大震度5弱が23回、最大震度4が135回観測されたそうです。
15時8分に岩手県沖でマグニチュード7.4の地震が発生。更に15時15分に茨城県沖でマグニチュード7.6の地震が発生して落ち着く間もなく、再び三陸沖で15時25分にマグニチュード7.5の大きな地震が続き、最大3分間もの大きな揺れの影響により大津波が発生しました。
各地で大きな川の水が海へ引き込まれ底が見えたという証言が多かったです。大津波の規模は岩手県沖から茨城県沖にかけて長さ約450km、幅約200kmと広範囲でした。
又、メディアで報道されていない事も多くありました。倒壊、陥没、火災、大津波、原発事故、空き巣、強盗、強姦、風評被害、虐めといった広範囲で物凄い数の被害と犠牲者、行方不明者が出てしまいました。
岩手県

岩手県は大津波の高さが大船渡市40M、宮古市39.75Mを記録しており沿岸部が断崖絶壁のリアス海岸で有名とされていて、この海岸の特徴もあって平地が狭く勢いが集中してしまい津波の高さが膨大しました。
【被害状況】
■死者数:4,675人
■行方不明者:1,110人
■負傷者:213人
■合計:5,999人
岩手県は津波被害が殆どでした。昔から津波に対して意識が高く避難訓練を行ったり防波堤も高く設置されていて過去の災害を教訓として津波の伝承、石碑といった歴史を伝えてきたにも関わらず住民の予想を遥かに超えた巨大な津波だったことが伺えます。
当初、ニュースで津波計測が宮古市8.5M以上とされていましたが予想を遥かに超えています。3月という事もあり岩手県は豪雪地帯でもあるので極寒の中、救助を待っていた方も多くいたと思います。
津波により壊滅的な被害を受けた陸前高田市では、山まで巨大津波が押し寄せ避難所としていた市民会館、市民体育館も津波に飲まれ避難者全員が亡くなりました。
防波堤が高過ぎて海岸が見えなかったのも「この高さを超えないだろう」という安心感から逃げ遅れた原因とも言われています。
宮城県

日本国内最大規模の震度7を記録しマグニチュード9という世界でも4番目の規模でした。1900年以降で最も国内の大きな災害となったのが宮城県を震源地とした地震です。
【被害状況】
■死者数:9,544人
■行方不明者:1,213人
■負傷者:4,145人
■合計:14,903人
最も被災者が多かったのが宮城県で行方不明者とされている方が片腕、指など体の一部が見つかりDNA鑑定で身元の判明はできたものの一部なので頭部が見つからないので死亡者とも認定できない状況です。
又、瓦礫撤去作業が行われいていた頃は遺体が紛れ込んでいて気づかず撤去されてしまった可能性も非常に高く捜索は困難な状況です。
私の実体験を交えて宮城県の3.11についてご説明したいと思います。行方不明者の親友を探す為に毎日、何か手掛かりがないか自転車で探し周り安置所で同級生や後輩、身近な人の家族、探せば探すほど知っている顔ぶれが亡くなっていることを知り毎日が絶望でした。

特に脳裏に焼き付いているのが助けてと訴えている表情で顔が流木でえぐられていたり親友は流木が頭に直撃し即死だったそうで木の下敷きになり発見されました。
後輩は当時、高校を卒業したばかりで友人と出かけていて助かりましたが家族を亡くしました。妹の卒業式に出席していた両親は帰り道に渋滞で身動きが取れず津波にのまれたそうです。
更に内定していた職場、納車待ちの車、自宅全てを失った後輩に私は何の言葉もかけてあげられませんでした。かける言葉が何も見つからず心が痛かったです。
生まれ育った故郷が津波によって変わり果て震災から13年が経ち復興と風化も進みました。本当に津波が襲ったの?と思うほど瓦礫だらけだった街並みは変わりました。
福島県

福島県は大地震、大津波、原発事故、不評被害、帰宅難民、支援物資が届かないなど様々な被害にあわれました。
【被害状況】
■死者数:1,614人
■行方不明者:196人
■負傷者:183人
■合計:1,993人
福島県中通り、浜通りで最大震度6強を観測しました。地震そのものが原因で亡くなられた人数は36人で一番多かったことが死亡詳細で判明しています。津波に関して宮城県沖と茨城県沖の波が南北から複雑に交わり大津波になったとされています。
復興時に現場作業員やならず者が全国から集まってきたので深刻な治安の悪化もあり南相馬市や相馬市では窃盗、強姦被害が相次いでいました。夜道は性別関係なく「一人で出歩かないこと!」注意勧告が出されていました。
お婆さんが性被害に遭ったともされています。優しい日本人とされているが本当にそうなのか?大きなショックを被災地の方々はうけました。
原発事故発生

大地震の影響により全停電となって福島第一原子力発電所の事故へと発展しました。13年経った今も汚染水・汚染土を排出し続けています。
2023/8に国が無理矢理、海洋放出を決行して先月までに計4回の放出がありました。1回の放出で7,800tものALPS処理水(除染水)が海へ流されています。
科学者の方からお話しを伺う機会があり「絶対に大丈夫という事は決してありません」と言い切りました。元々、国が絶対に原発は「何が起きても壊れる事は無いから安心して下さい」と、県民の中で反対派もいましたが開発が進み現在に至ります。
原発事故発生により捜査活動が行えたのは震災発生から1ヶ月後で原発が無ければ多くの命を救うことができたと思います。チェルノブイリ(ロシア)と同等の最大値であるレベル7と認定されて世界を震撼させた事故なのです。
地形と生態系を変えペットとして飼われていた犬や猫は繁殖と人間との関わりもなくなり完全に野生化してしまい人を襲ったり家内を荒らしまわったりと駆除される事態になりました。

人だけではなく動物も救えた命が沢山ありました。養殖場の牛、豚、鳥も放射能のせいで大量に殺処分されました。
ビジネスとして福島県は国から利用され続けてきて事故が発生後、何もしてくれない国に対して県民は訴訟を起こし下された判決が「国に一切の責任は無い」と最高裁判所から判決が下され県民は深い悲しみや怒りをどこへぶつければいいのか分からないと13年経った今も苦しみ続けています。
指定避難区域の経緯

原発事故発生により30km圏内が指定避難区域となり当初、何も告げられず逃げろ!とにかく遠くへ逃げろ!と言われ続けて県民は逃げ続けました。
やっと辿り着いた避難所も安心する暇もなく次々と範囲が広がり続けて最大で10回もの避難を強いられた方もいました。入院患者は次々と避難の連続で多くの方が亡くなりました。
地震、大津波、原発事故により岩手県と宮城県には支援物資が届いていましたが福島県は最初は届いていたが次第に届かなくなり食難民となり本当に助けが来るのか?不安な日々を過ごしました。
他県へ逃げた方は虐め被害に遭い都心の為に電気や食料など貢献してきた福島県は原発事故により完全に犠牲となりました。
復興の歩み

13年の月日が流れ過去の出来事として風化されつつありますが岩手県、宮城県は目に見えて復興の進み具合がわかります。しかし復興に至るまで大津波によって何もかも流され壊滅的な被害が相次いでいたことを知らない世代が増えました。
そして福島県に関しては13年前の姿のまま沿岸部は膨大に広がっています。時が止まってしまった町並みで、双葉町に関しては震災前は人口約5,500人いましたが戻ってきたのは97人という寂しい町になっています。
人がいない状況で大きな役場、図書館、立派な駅、広々とした公園がメディア向けで作られたとしか考えられない建物がありました。
なぜそう思った?というと日曜日の昼間に駅前に人がいないしバス停を見ると運休で一本も走っていないですしタクシーも1台もいない状況でした。

立派な建物が一部だけ建てられていて周辺は13年前のままです。橋は真っ二つで交通機関や医療関係、幼稚園、学校、職場など暮らしに必要な環境整備が先ではないのか実際に現地を見てみて実感しました。
復興税が余っていると言われている中で福島県だけはなぜ?復興が進まないのか?ビジネスが絡んでいるのではないか?と私は思いました。人が住めなくなった状況で原発事故により世界的に放射能が危険な場所という認知があり風評被害など経済的に望めないという判断なのかと思います。
昨年の8月に国が勝手に決行した海洋放出で漁業関係は36億円もの売り上げの減少となってしまいました。13年かけて自分たちの暮らしを回復させ安定してきた矢先の出来事だったので怒りを通り越して呆れて言葉もないという方や国に完全に見捨てられているんではないか?と不安な思いをされている方がいます。
震災を知らない世代へ

2011.3.11東日本大震災が起こった日に誕生した赤ちゃんが当時、話題になりましたが今年で中学1年生になったという事です。
高校生でも記憶に残っていない世代になってきています。知らない若者達へ伝えたい事は、当たり前に過ごしている日々を大切に過ごして欲しいです。
日本という国は島国で地震大国です。そして世界で唯一の被爆国でもあり原発事故により癌患者発生率の上昇の危険性があります。
全国に原子力発電所は12基あって、いつ福島県と同じ状況になっても不思議ではない事を頭の片隅に覚えていて欲しいと思います。もし自分の住んでいる地域で原発事故が発生したら二度と地元へ帰ることができないかもしれないです。
30km圏内で道路が陥没してたり建物が倒壊していて道が遮断されている状況で歩いて逃げなければいけない状況になった場合、お年寄りや小さなお子さん体調が悪い方が避難をしなくてはならないという事を知っていて欲しいです。
災害は人を変えてしまいます。そういう時に窃盗など犯罪が起きてしまうので、世の中良い人だけではありません。
まとめ
■日本最大の自然災害
マグニチュード9で震度7の巨大な大地震。
■東日本大震災発生
2011年3月11日14時46分に三陸沖で宮城県牡鹿半島を震源とした地震発生。
北は北海道から南は沖縄まで全国各地が揺れました。特に東日本の太平洋側が宮城県栗原市で最大震度7を観測し、宮城県、福島県、茨城県、栃木県が震度6強を観測するという事態でした。
3分間、大きな揺れが続いたことにより大津波が発生しました。
■原発事故発生
原発事故発生により捜査活動が行えたのは震災発生から1ヶ月後で原発が無ければ多くの命を救うことができたと思います。チェルノブイリ(ロシア)と同等の最大値であるレベル7と認定されて世界を震撼させた事故なのです。
「国に一切の責任は無い」と最高裁判所から判決が下され県民は深い悲しみや怒りをどこへぶつければいいのか分からないと13年経った今も苦しみ続けています。
■指定避難区域の経緯
原発事故発生により30km圏内が指定避難区域となり当初、何も告げられず逃げろ!とにかく遠くへ逃げろ!と言われ続けて県民は逃げ続けました。
やっと辿り着いた避難所も安心する暇もなく次々と範囲が広がり続けて最大で10回もの避難を強いられた方もいました。
■復興の歩み
福島県双葉町に関しては13年前のまま沿岸部は膨大に広がっています。時が止まってしまった町並みで震災前は人口約5,500人いましたが戻ってきたのは97人という寂しい町になっています。
立派な建物が一部だけ建てられていて周辺は13年前のままです。橋は真っ二つで交通機関や医療関係、幼稚園、学校、職場など暮らしに必要な環境整備が先ではないのか実際に現地を見てみて実感しました。
■震災を知らない世代へ
全国に原子力発電所は12基あって、いつ福島県と同じ状況になっても不思議ではない事を頭の片隅に覚えていて欲しいと思います。もし自分の住んでいる地域で原発事故が発生したら二度と地元へ帰ることができないかもしれないです。
災害は人を変えてしまいます。そういう時にも窃盗など犯罪が起きてしまうので、世の中良い人だけではありません。


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